池田屋にたどり着くのは、なかなか可能性として低いと思いますし、遭わなかった可能性も
2009年5月13日放送 NHK総合 歴史秘話ヒストリア
新撰組 京都青春録 素顔の沖田・土方・近藤
幕末史研究家 菊地明さん
8月18日の政変で、ただの浪士の集まり、烏合の衆の集まりとは違って、組織だって動くことができたんじゃないかと思うんですね。当時、組織の局長、副長、出来ていましたので、それに沿って命令系統がしっかりしていて、勝手な動きをする人間もいなかった。それを会津藩なり、幕府側に評価されたんではないかと思います。
沖田総司の戒名とその縁者の戒名というのが、使われている文字、それをひとつづつ比べていきますと、非常に共通している印象があるんですね。意味も互いに同じような意味を共有している文字が並んでいるんですね。それは、何らかの意図があって、縁者の方が先に死んでいますから、そのあとで亡くなった沖田総司の戒名があえてまねをするように、縁者の戒名が下敷きになって、作られたんじゃないかと。
歴史地理史学者 中村武生さん
よくドラマなどでいうように、拷問をして、その時にすべての彼らの計画をしゃべったというのは、たぶん事実ではない。当時の事件から二日たった会津松平家の役人の記録が残っていて、そこには具体的なことは一切書いてなく、ただ、機会を失わずに行動すべきだというようなものしか書いてない。
祇園から三条小橋あたりまで、無数に茶屋があります。その中のたった一軒、池田屋にたどり着くのは、なかなか可能性として低いと思いますし、遭わなかった可能性もないとは絶対に言えないです。見込み捜査以外の何物でもありませんので。
多分池田屋に切り込んだ段階で、誰かが土方らを探しに行ったと思いますが、土方らがどこを調査しているかをなかなかわかりにくいと思いますから、だから合流には時間がかかったと思います。
« 守り切れるけれども、守りのチームではないし、攻撃のバリエーションも相当持っているし | トップページ | このキャラクターは、その時のトレンドにどのように合うのかみたいなところを見られる »
「歴史」カテゴリの記事
- 池田屋にたどり着くのは、なかなか可能性として低いと思いますし、遭わなかった可能性も(2009.05.19)
- 闘茶で金もうけて何が悪いんだよ。うるせいよ、お前、馬鹿野郎(2009.05.17)
- 絵師としては、地位も名誉も手に入れた等伯ですけれども(2009.04.22)
- 自分が目ぼしい武将を探して、それに切りかかっていくという場面は、多分あったと思いますね(2009.04.11)
- 自分たちの仲間である北条氏のお嬢さんが頼朝の隣に必ずいる(2009.04.04)
この記事へのコメントは終了しました。
« 守り切れるけれども、守りのチームではないし、攻撃のバリエーションも相当持っているし | トップページ | このキャラクターは、その時のトレンドにどのように合うのかみたいなところを見られる »
コメント