高校生ごときが、なんで解釈を変えているんだみたいなことで、もう選外みたいな感じでしたよ。酷評でした
2009年9月19日放送 NHK総合 トップランナー
作曲家・編曲家 吉俣良さん
最初、鹿児島に住んだ1回だけ、僕は霊感とか何もないんですけど、ホテルのベランダからぼーと桜島を見ていたら、何か気が来たんですよ。何かわからないけど。見えないです、何も。何かエネルギーをもらったような錯覚に陥ったんです。すげえ、なになに、今の感覚っていうのは1回だけありました。これじゃないの、薩摩の、当時江戸とこんなに距離があって、電話も何にもないときに、日本を変えようとみんな出て行ったわけじゃないですか。そういうのを呼び起こす何かのエネルギーがこの町にはあるなと勝手に考えちゃったんです、自分がそう思ったから。
作った後に、鹿児島の人間に、桜島感じるなとか、作った曲を鹿児島に住んでいる人間が言うんですよ、いろいろ。この曲、鹿児島なんだよなあ、とか、それがすごく自分には不思議。鹿児島に住んでいる人間にCDができてから言われたんで、すごい嬉しかったです。やっぱり住んでよかったと思いましたね。3週間。
吹奏楽部がうちの高校は県で一番うまい高校で、吹奏楽にものすごい集中していましたね。コンクールに3年間でて、僕が部長をやった2年の時だけ、落ちたんですよ、九州大会に行けなかったんですよ。実質的に3年生が権限を握るので、3年生に自分がなったときには、絶対に優勝してやると決めて、思って、まず何をしたかというと、顧問の先生に降りていただいた。もっと何か違ういことをしたくて、音大に行って、今、ルーマニアで棒を振っていらっしゃる尾崎先輩という方がいらっしゃって、その人が音大に行かれたので、先輩、ちょっと帰ってきて、僕たちの棒を振ってくれって。毎晩11時ぐらいまで、スコアを広げて、喫茶店で。今でいう、アティキュレーションというんですけど、強弱とか、テンポとか、音は変えないんですけど、強弱とか、テンポの解釈ってあるじゃないですか。たとえば、ここは大きくとか、ここは小さくとか、当然スコアに指定してあるわけですね。全部とっぱらって、フレーズを見ながら、ここは迫りくるようにしたほうが格好良くないとか、自分たちで勝手にスコアを解釈してやったんですよ。県で絶賛ですよ。子供たちが良くもここまで、課題曲ですよ、しかも、それをここまで自分たちなりの解釈にしたということは、素晴らしいことだと言われて、胸を張って、九州大会に行ったんですよ。だいたい何様だと。作曲家が、しかも課題曲を作るような偉い先生が曲を作られて、こういうふうに演奏したほうがこの曲は生きると言っているものに対して、高校生ごときが、なんで解釈を変えているんだみたいなことで、もう選外みたいな感じでしたよ。酷評でした。一番下の賞でした。でも、僕はすべてを独学でやっていて、音楽大学も出ていないし、スコアの勉強とかも何もしていないんですよ。なんで今、スコアが書けるのかと言ったら、あの時に培った、よくスコアを見ていた、それだけなんですよ。スコアをすごく研究しているから。音楽のスコアを使って、音楽を解釈するというアレンジの手前、入口にはすごくなったと思いますね。
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