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日本人の江戸時代を、特に余暇の視点から取り戻そう。我々の遺伝子の中には、そういうものが色濃く入っているはず

2009年10月21日放送 NHK総合 TOKYO ニュース REMIX

安近短レジャー

日本余暇学会 会長 薗田碩哉さん

余ったというのは、仕事からみた見方なんですが、あれを余らせるための目標としてのあまり、つまり余裕とか、余剰とか、余韻とか言いますね。余るというのは、メインがあって、どうでもいいから余った、なくてもいいという意味ではなくて、余る事が目的じゃないですか。

日本人の余暇力は阻害されているというのが私たちの考え方なんです。つまり、本来はあった。例えば、江戸時代、古文書の世界でもある。江戸のいろんな余暇をみると、それこそ旅から、大相撲、遊郭もあっただろうし、芝居もあり、様々な遊芸があり、言葉遊びがあり、そして園芸ね、朝顔とか、いろんな余暇世界を作っていた。ただし、それが明治維新以来、抑圧されちゃった。というのも、近代化しなければいけなかった。西洋に追いつかなければいけなかった。それがいつの間にか、日本人の生活みたいになってしまって、日本人は余暇が下手だと。遊ぶことを知らないみたいな、ワーカーホーリックジャパニーズみたいな、そういう見方をされるようになってしまった。しかし、本来は、そうじゃなかったんだから、今や余暇ルネッサンスですね。日本人の江戸時代を、特に余暇の視点から取り戻そう。もっと多様ないろんな余暇があっていいわけだし、それはできる。我々の遺伝子の中には、そういうものが色濃く入っているはず。

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