デカルトは僕と非常に似た問題とか、似た感覚とか、似た何かをとらえていたと思います。一瞬ですけどね、デカルトの場合ね
2009年10月6日放送 NHK総合 爆笑問題のニッポンの教養
私 探し
哲学 日本大学 教授 永井均さん
森羅万象、全部幻で、自分の記憶とか、自分の体がなくても、それでも自分というものだけは、私ということだけは疑えないというふうにデカルトは考えたわけですけど、そのことと、僕が考えたように、私という、変な、例外的というか、特殊なものがあるのかということを考えたのかということは、結局、究極的には同じ問題だったと思います。でもデカルトだって、そこの答えはないですね。そこが出発点になって、そこから神の存在証明をしているような外界とかしているけど、そこになぜ起点が置かれるか、ということに関しての説明はデカルトだってないですね。
デカルトは僕と非常に似た問題とか、似た感覚とか、似た何かをとらえていたと思います。一瞬ですけどね、デカルトの場合ね。つまり、その私とは何にかと言ったときに、同じ思考実験みたいなのをしたらば、どんな人でも同じ結論に達するというふうに彼はすぐそのあと言うので、僕はそれはちょっと違うんではないかと。他の人には当てはまらない自分だけ、私だけっていう問題こそが、この問題だと思うので、一瞬だけ捕まえたけれど、すぐに違う方向に。これでも、一瞬捕まえても、必ずずれるということが。
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