この世が嫌になったら、じゃあ、隣の世界、そういう意味では山に行って、仏門に入るかとか、何かちょっとチャンネルを変える装置の一つとしてあったんだと思うんですね
2010年6月8日放送 NHK総合 爆笑問題のニッポンの教養
京都パワースポットミステリーツアー
国際日本文化研究センター教授 小松和彦さん
昔の人というのは、今の人の中にもどこかにあるんだろうと思うんですけど、現実に日常を生きている場所とそれを取り囲んでいる神仏の世界なり、自分たちが行けないけれども、また思うどおりにならないんだけども、豊かな福の神がいて、富があって、そこから富を持ち込めるかもしれないとか、恐ろしい天狗や鬼がいて、それらが自分たちの生活を破壊するかもしれないとか、そういう場所を作って、その全体の中で、生者と死者とか、生きている人たちと神々とが、ある意味では共存して、この世が嫌になったら、じゃあ、隣の世界、そういう意味では山に行って、仏門に入るかとか、何かちょっとチャンネルを変える装置の一つとしてあったんだと思うんですね。
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