カテゴリー

最近のコメント

« 1970年メキシコワールドカップで王様ペレが触らずにキーパーを抜いて入れたプレーがあるわけなんですね | トップページ | このお寺が天明年間に浅間山が噴火するんですよ。その時に災害にあった人たちが江戸川を伝わって、このあたりに流れ着いたんです。その人たちの供養をするということで供養碑があったりとか、災害とのかかわりが深くなってくる »

まさに東京の下町の真ん中に、古東京川が今の荒川のようにずっと流れていた

2011年12月 1日(木)ブラタモリ「荒川」
 

葛飾区学芸員…谷口栄さん

まさに東京の下町の真ん中に、古東京川が今の荒川のようにずっと流れていた。
荒川を人工的に作る時には、こういうことを分かって、それをなぞったんでしょうかね。
それは偶然だと思います。
いろいろ計画したら、ここが一番いいんではないかと。土地の記憶ですよね。
偶然とはいえ、土地の持っている記憶がそのまま重なっているという。

« 1970年メキシコワールドカップで王様ペレが触らずにキーパーを抜いて入れたプレーがあるわけなんですね | トップページ | このお寺が天明年間に浅間山が噴火するんですよ。その時に災害にあった人たちが江戸川を伝わって、このあたりに流れ着いたんです。その人たちの供養をするということで供養碑があったりとか、災害とのかかわりが深くなってくる »

ブラタモリ」カテゴリの記事

コメント

古東京川が今の荒川放水路。あの言い方は間違いではないけどいまひとつ誤解というか変に限定してしまうような気がします。

自分は古東京川といった場合には、
先ず、
・現東京湾の中にある昔の川筋跡です。

次に
・東京台地と下総台地の間の低地に流れ込んだ、今でいう、荒川や入間川、古利根川、もう名前も流路も変遷しまくりの流れのことを思います。

あの筋(現荒川放水路)だけが古東京川と受け取られるのはなんか違和を感じます。

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

« 1970年メキシコワールドカップで王様ペレが触らずにキーパーを抜いて入れたプレーがあるわけなんですね | トップページ | このお寺が天明年間に浅間山が噴火するんですよ。その時に災害にあった人たちが江戸川を伝わって、このあたりに流れ着いたんです。その人たちの供養をするということで供養碑があったりとか、災害とのかかわりが深くなってくる »

2022年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ