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カテゴリー「ブラタモリ」の22件の記事

コンクリートはどうしても劣化してしまいますので、いろいろ調査をして、劣化やすさを探ったんですけれども、日常的な補修をしっかりやっていれば、今後100年以上もちゃんと持つと

2011年12月 8日(木)ブラタモリ「地下鉄スペシャル」
 

東京地下鉄株式会社鉄道本部工務部…山本努さん

コンクリートはどうしても劣化してしまいますので、いろいろ調査をして、劣化やすさを探ったんですけれども、日常的な補修をしっかりやっていれば、今後100年以上もちゃんと持つと。特にここは地盤も良かったし、施工も非常によかったので、逆にもう少し後につくった構造物よりも非常に余寿命があると。中の鉄筋を取りだしてみたんですけれでも、全然錆びていなと。これは当時の技術に脱帽いたしましたですね。

このお寺が天明年間に浅間山が噴火するんですよ。その時に災害にあった人たちが江戸川を伝わって、このあたりに流れ着いたんです。その人たちの供養をするということで供養碑があったりとか、災害とのかかわりが深くなってくる

2011年12月 1日(木)ブラタモリ「荒川/柴又」
 

葛飾区郷土と天文の博物館学芸員…谷口榮さん

このお寺が天明年間に浅間山が噴火するんですよ。その時に災害にあった人たちが江戸川を伝わって、このあたりに流れ着いたんです。その人たちの供養をするということで供養碑があったりとか、災害とのかかわりが深くなってくる。

まさに東京の下町の真ん中に、古東京川が今の荒川のようにずっと流れていた

2011年12月 1日(木)ブラタモリ「荒川」
 

葛飾区学芸員…谷口栄さん

まさに東京の下町の真ん中に、古東京川が今の荒川のようにずっと流れていた。
荒川を人工的に作る時には、こういうことを分かって、それをなぞったんでしょうかね。
それは偶然だと思います。
いろいろ計画したら、ここが一番いいんではないかと。土地の記憶ですよね。
偶然とはいえ、土地の持っている記憶がそのまま重なっているという。

ゴリラとかパンダとかそういう種の保存もやっていますけど、日本人が作ったものを絶やさないようにしようということもやっている

2011年11月17日(木)ブラタモリ「上野動物園(動物・後編)」
 

上野動物園 前園長…小宮輝之さん

日本の生きている文化財でしょ。そういうのもここで多くの人に見てもらおうということで、動物園、ゴリラとかパンダとかそういう種の保存もやっていますけど、日本人が作ったものを絶やさないようにしようということもやっている。

17世紀に動物愛護令という法令があったという国なんですよね。

2011年11月17日(木)ブラタモリ「江戸の動物~中野編~」
 

法政大学教授…根崎光男さん

17世紀に動物愛護令という法令があったという国なんですよね。

驚くことに江戸の地下には石や木で作られた水道管が網の目のように張り巡らされていました。その総延長は150キロにもなり、当時、世界一の水道施設だったと言われています

2010年10月21日放送 NHK総合 ブラタモリ 新宿 水道編

飲み水の確保、これは徳川家康が江戸幕府をひらいたときからの大問題でした。当時の江戸は江戸城のすぐ近くまで海岸線が迫り、葦が生い茂る湿地帯。海を埋め立てて作った場所では、井戸を掘っても出てくるのは塩水ばかり。そこで、家康は小石川や井の頭池など近くの水源を利用した神田上水を整備しました。しかし、参勤交代が確立し、多くの大名や家臣が江戸に住むようになると江戸の人口は爆発的に増加。神田上水だけでは水が足りなくなってしまったのです。困った幕府は4代将軍、家綱の時代、遥か43キロも先の多摩川から江戸市内に水を引き込むことにします。これが玉川上水。指揮を執ったという玉川兄弟の卓越した土木技術でこの壮大なプロジェクトが完成しました。

江戸時代、ここは四谷大木戸と言われる江戸の西の出入り口でした。ここから四谷側が江戸市内。新宿は場末と言われた江戸の外だったのです。四谷大木戸にあった水番屋。江戸に入る水の安全をチェックしていました。そしてなんとここから水は地下に潜っていったのです。驚くことに江戸の地下には石や木で作られた水道管が網の目のように張り巡らされていました。その総延長は150キロにもなり、当時、世界一の水道施設だったと言われています。江戸時代の水道管は都内のあちこちで発掘されるんだそうです。でも、次々にビルが建つので、なかなか一般の人の目に触れることはありません。木の水道管、木樋。主に檜製で、水漏れしないほど精巧に作られています。石で作られたメインの水道管、石樋、現在、神田上水に使われていた石樋が本郷の公園に保存されています。幅、高さともに1.5メートルもある頑丈な作り。こんな太い水道管が江戸の地下を走っていました。

高層ビルの立ち並ぶ広い一角はかつて巨大な浄水場だったのです。昭和40年ごろの写真を見ると、水をろ過するための広大な池が並んでいます。建設のきっかけは明治19年のこれらの大流行でした。伝染病の蔓延を食い止めるために、水をろ過、殺菌する本格的な浄水場が作られたのです。水道管も鉄のものに替え、水には圧力をかけて、火災の消火にも使えるようにしました。
立体的に作られた町そのものが浄水場の構造を受け継いでいたのです。硬い地盤を活かして、池の底からビルを立てて、下の道を作り、もともと地表だったところに上の道を作ったのです。まさに街全体が池の痕跡。

市場の町、築地は江戸時代、寺町でした。有名な築地本願寺を中心として、小さなお寺がなんと58もひしめきあうお寺の町

2010年10月7日放送 NHK総合 ブラタモリ 築地

市場の町、築地は江戸時代、寺町でした。有名な築地本願寺を中心として、小さなお寺がなんと58もひしめきあうお寺の町。
もともと築地本願寺があったのは、浅草近く。しかし、江戸初期の大火事でお寺は全焼。その代わりの土地として幕府から与えられた土地はなんと海の中。つまり、築地は海を埋め立てて、寺町になっていったのです。

江戸時代の地図を見てみると、海に面した築地には日本海軍の前身となる軍艦操練所が。そもそもなぜ築地に海軍がおかれたかというと、幕末、黒船来航の影響を受けた幕府は近代的な軍艦の整備に乗り出し、大慌てで幕府海軍を創設。江戸城に近く、海に面している上に、広大な敷地のある築地は海軍の施設を置くにはもってこいの場所でした。こうして築地は明治から大正にかけて海軍一色の町に変貌していきます。

江戸の大名屋敷、急激な時代の変化に翻弄されたその移ろいは六本木の歴史そのものです

2010年3月11日放送 NHK総合 ブラタモリ

六本木

六本木かいわい、江戸時代に何があったかと言えば、答えは大名屋敷。六本木にはこれだけの大名屋敷が集中していました。当時、ここは大名たちのお屋敷がズラッと並ぶ町だったんです。その大名屋敷がなくなった明治以降、広大な跡地には一体何が作られたのでしょうか。

東京ミッドタウンはかつては丸ごと大名屋敷でした。住んでいたのは萩藩毛利家の御殿様。その敷地、東京ドームおよそ2.5倍、広いですね。
国立新美術館。美術館の広い敷地は江戸時代、伊達家のお屋敷でした。

明治以降、六本木には多くの軍の施設が誕生します。主を失った大名屋敷の跡地は、広い敷地が必要な軍の施設としてうってつけでした。

戦後、連合国の統治下におかれた日本、町にはアメリカ兵の姿があふれました。六本木周辺の日本軍の施設は米軍の管理下に置かれます。

江戸の大名屋敷、急激な時代の変化に翻弄されたその移ろいは六本木の歴史そのものです。

かつては谷合のくぼ地で、小さな住宅などが密集していました。それが、辺り一帯の再開発のため、埋め立てられ、その後、高層のマンションやビルが立ち並びました。

皇居の西側、緑広がる広大な敷地に赤坂迎賓館があります。これだけ広いということは、江戸時代は大名屋敷。しかも、紀州徳川家です。さすが御三家

2010年3月4日放送 NHK総合 ブラタモリ

赤坂

皇居の西側、緑広がる広大な敷地に赤坂迎賓館があります。これだけ広いということは、江戸時代は大名屋敷。しかも、紀州徳川家です。さすが御三家。
この立派な建物。明治の終わりに東宮御所として建造され、その後、国会図書館にもなりました。迎賓館になったのは、わりと最近。1974年です。でも、建物は明治のまま。この美しい湾曲。ネオ・バロック建築という工法で、日本にはここにしかありません。建物の細部に至るまで、当時最先端の技術が注ぎ込まれています。洋風建築こそが近代化の象徴。とは言え、日本の威厳も伝統的な装飾に表れている明治を代表する建物です。

赤坂見附、地下鉄の駅の名前であり、首都高速道路、246青山通り、外堀通りが交わる大交差点の名前です。見附とは、江戸城をとり囲む見張り場所のこと。36のうちの一つが赤坂見附でした。今ではあまり気づきませんが、交差点に近くにちゃんと見附のあとがあるんですよ。

江戸城を取り囲む外堀の一部が大きな池のようになっていますよね。これが溜池です。赤坂見附から虎ノ門まで続く大きな池は、江戸城の防御と人々の浄水源という二つの役割を果たしていました。
歌川広重作、赤坂桐畑、人工の池だったため、水辺に桐の木を植えて、その根っこで土手を補強したんです。
赤坂のどんどんと呼ばれたため池の水の落ち口です。豪快に流れ落ちる水の音から、その名がついたと言います。

花柳界がピークを迎えたのは、昭和30年代後半です。次々とできたナイトクラブとの相乗効果で、一時は60近くの料亭が軒を並べ、町には芸者さんを乗せた人力車が行き交いました。そんな料亭の街を支えてきたのが、赤坂のメインストリート、一ツ木通りです。この通りはまさに赤坂花柳界とともに発展してきました。呉服、かんざし、草履に畳、傘や布団に三味線屋さん、芸者衆の日用品や料亭の調度品を扱う店がズラッと並んでいたんです。

家の作りも防衛が要、細くて長い敷地の理由、それはいざという時、敵の侵入を防ぎやすくするための工夫だったんです

2010年2月4日放送 NHK総合 ブラタモリ

大久保

皆中稲荷神社があるここの住所は今も百人町。江戸城の西には甲州街道が通っています。この守りを固めるために置かれたのが鉄砲組百人隊。その住居があったのが新宿大久保の地。河内や三河など地方出身者が集められました。家の作りも防衛が要、細くて長い敷地の理由、それはいざという時、敵の侵入を防ぎやすくするための工夫だったんです。そのときの区割りが今も大久保の街に受け継がれているんです。
平和な時代が長く続いた江戸、鉄砲組、ほとんど出番がなかったそうです。そこで、内職として始めたのが、つつじの栽培。それが街中に広がり、大久保はつつじ王国になったんです。

民族も宗教も違う人たちが混在する雑居ビルです。大久保の街全体に、これだけ多国籍の人が暮らすようになった理由、実は、あの江戸時代から続く区割りが関係していたんです。細くて長い区割りには、大きな百貨店など大資本が入ってきにくい一方、小さなお店が入り込む隙間がたくさんありました。だからこそ、ここ十数年で、これだけ様々な人が住める街に発展してきたというわけです。

数多くの楽器屋さんを目にするのも新宿大久保の特徴です。戦後、歌舞伎町を中心とした新宿にはじゃずバンドの生演奏を聴かせるお店がたくさん現れました。そこで必要になったのが楽器屋さん。一軒できれば、同業者が集まる。そんな最初に一軒を歌舞伎町の隣、この大久保で開業したのがこちらの修理屋さんでした。

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